宇佐神宮御祭神「神功皇后」第2回


そこで神は再び神功皇后に乗りうつられて

「天上から、水に映る影のように鮮明に、

その国を見下ろしている私の言葉を

どうして誹謗(ひぼう)されるのか。

あなたが最後まで信じないのであれば、

あなたがその国を得ることはできないだろう。

たった今、皇后は子を身ごもられた。

その御子がその国を得ることになろう」と

神託を下すのですが、

仲哀天皇はなおも信じず、

強引に熊襲征討を実施したものの、

結果、勝つことができずに帰還。

そして神の怒りを受けた仲哀天皇は

しばらくして病に襲われ、崩御。

52歳だったと伝わります。

神功皇后は、夫の死に心を痛めながらも、

「天皇の急逝を知ったなら、

人民の心に隙が生じてしまうであろう」

と仲哀天皇の崩御を秘します。

一方で、祟(たた)りの神を知り、

その上で神の言う「優れた宝のある国」を

求めたいと思い、

群臣らに命じて罪を祓って過ちを悔い改める為

小山田邑(おやまだむら=福岡県古賀市小山田)

に斎宮(いつきのみや)を造らせ、

神功皇后自らがその神主となって、

さらに神託を聞こうと努めたとされています。

そして神の教えにしたがって神々を祀った結果、

まず熊襲征討を成し遂げます。

その後、香椎宮に帰り、

西方(新羅)への征討を決意。

髪をほどいて頭髪を海水にすすぐと、

霊験によって髪は2つに分かれ、

神功皇后はその髪を男子のように結い上げたと。

そうして男装した神功皇后は、

神の心にしたがって

大己貴神社(おおなむち=福岡県朝倉郡筑前町)を

建て刀剣や矛を奉って軍兵を集めます。



日本書紀が伝える、新羅征討に際して群臣を

集めたときの神功皇后の決意の言葉に

心が打たれます。

「今、征討軍を派遣しようとしている。

このことを群臣に託すが、

もし、成功しなかったら、

罪は群臣にあることになってしまう。

それははなはだ心痛むこと。

私は婦女であり、そのうえ不肖の身であるが、

しばらく男性の姿となり、

強いて雄大な計略を起こすことにしよう。

上は天地地祇の霊力をこうむり、

下は群臣の助けによって軍団の士気を

奮い起こし、険しき波を渡り、

船舶を整えて財宝の土地を求めよう。

もしことが成功すれば、

群臣よ、ともにそなた達の功績となろう。

ことが成就しなければ、罪は私一身にある」

天下のために国家を安らかに運ぶ手立てを考え、

一方で罪は臣下に及ばないと

語る神宮皇后の言葉に、

群臣はみなともに戦う決意を固めます。

 

〜続きます〜

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